柴田犬の頭の中

アートど素人がアートを学べる大学院に入学し、変わった人生を歩む日々の思考のメモです。

2月の気持ち

 頑張って生きてます。柴田犬です。

 

サウナに入りながら久々になぜかブログが書きたくなった。留年が決まって正直まだ一歩踏み出せていない。11月から行った旅詞も40回で止まっている。最近は毎日映画と本からインプットをして、時々バイトに行く生活。まだ制作に直接向き合いたくなくてある意味逃げているけれど、この3か月のインプットはとても充実していた。なぜ自分はこんなにこれまで映画を見てこなかったのかと反省したほどだ。昨日今日は映画ではないけれど「僕のヒーローアカデミア」というアニメに非常に心を動かされたからかこんな文章を書いてしまっている。1人ひとり超人的な個性が使えたくさんのヒーローに溢れる世界で何も能力のない無個性な主人公がNO.1ヒーローを目指す物語だ。個性という何かしらの能力がないとヒーローになれないのにもかかわらず、誰に何と言われようと諦めない主人公に心ひかれた。誰よりもヒーローが好きで誰よりも分析して誰よりも努力している。BLUE GIANTのサックスプレイヤーだってそうだ。世界一のジャズプレイヤーになると毎日河原で何時間も吹き続けていた。好きなことを熱を持ってとことん追い続ける人たちを見るのはとても好きなんだ。それは自分が持っていないことであるという強い憧れから来てるのだと思う。やろうと思ってもまだ自分の弱さに逃げ込んでしまう。なんとかなるだろうと思ってしまう。彼らはそんな甘さから一切逃げない。それがすべてではないと思うし、自分のスタイルが必ずあると思うし、今は長いけれど準備期間だと思っている。木を切るのに斧を研ぐのと同じように。僕のヒーローアカデミアではたくさんの名言であふれていた。

 

「ビリから這い上がる」

「何回失敗してもいいんだ。またやればいいと」

 

失敗ばかりでそれをベースに制作を繋げていないからいつも最初から担って研究としての積み重ねがないから次の一歩がどんどん重くなっているでも、これらの言葉は僕に希望を与えてくれた。才能がなくてもやりきってもやりきらなくてもあと一年だけしか学生はやらないということだけは明確に決まっている。

 

この3か月超で最初自分は空間設計がしたいと思っていたけれど、自分はアート業界よりもやはりエンタメの業界の方がやってて楽しいし続けられるんだろうなと思っている。自分がつくった関わった作品で楽しんでもらう感動を与えられるそれが身近にできるのはテレビ、アニメ、映画の業界だなと感じた。大量に映画やアニメをこの大学院に来てから見るようになってそれらは見ようと思えば永遠と見れるし、自分が知らない世界をたくさん広げてくれる自分にとっての旅なんだ。その映像制作のプロデューサーになりたい。何十年後に自分が関わった作品がずっと世界に残り続けて誰かの心を豊かにし続けられるものになったら本当に嬉しい。これはでっかい夢かもしれないし、まだ映画なんか撮ったことない自分だけれど映画かアニメの監督できたらそんなに嬉しいことはない。この大学院に来てから自分ひとりで制作することが多いけれど自分はたくさんの人と作品をつくりあげるということに向いているからこそこの方向性は大いにありだと思っている。最終的な将来の地方で村をつくるということとは一切関係ないことかもしれないしまた回り道になるかもしれないけれどとても今の自分には魅力的に見える仕事なんだ。この業界の就活はけっこう8月までの長期戦になりそうだけれど制作と両立して血反吐吐きながら頑張っていくべきだ。まず20日21日自分が絶対行くことは無いと思っていた合同会社説明会に参加してくる。

 

進路としての業界としての方向性は決まり、あと9か月半で何を創るかというと大きな部屋の中でのんちゃんみたいに壁を立てて部屋や通路をつくって、体験者は映像を見ながら歩き様々な人の旅を5感を使って体感できる作品をつくりたい。部屋の中にあるドアを開けて中に入ると違う空間に来たような感じで、手に持ってるiPadに同じ空間の中に誰かが映って物語が展開して体験者を何か誘導しながら、全ての違う人の旅がうまく最後リンクしたらおもしろいだろうなと企んでいる。この3か月映画とアニメを見て自分がとても興味惹かれる要素として「群像劇」「伏線回収」「最初なんともないパッとしないのが後半大逆転(最初からおもしろいとさらにいい)」という流れに非常に惹かれる。それは、誰かが主人公というよりはみんな主人公でその人の何かしらの行動が誰かの行動を変えているようなバタフライエフェクトのようなそんな感覚が旅をしているととても思う。そして、自分は自分と異なる人の視点とか考え、背景にとても興味を持つからだろう。ちょうど一か月前に参加した秋田のプログラム以降あまり視覚というよりも触覚や暗闇を中心に使った作品にしようと思っていたが、その暗闇からの触覚という要素も含めながら展開していきたいと考えている。なぜなら、目を使わず移動すること、触覚だけを使って目の前のものを認知することは新しい旅なのではないかと思っているからだ。作品作ってみないと実際におもしろいかどうかは分からないし、どういう研究タイトルとして研究を進めていくことになるのかも正直分からない。でも、この方向性で進んでいきたいという意思と改めてやろうとずっと思ってるけれどこれまでの作品の反省と今後の展開との結びつけをどうできるのかを踏まえて3月までには言語化しないと絶対だめだ。

 

<今日の一枚>

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蟻鱒鳶ル

 

<今日のサウナ>

WellBE栄店とてもよかった。

oreno-sauna.com

フィンランドのロッジサウナを参考にしていて座れる人数限られるが、セルフロウリューができて、休憩場所もリクライニングチェアーがあってバスタオルもしっかりあって気持ちよく休める。鳥のさえずりとアロマが炊かれていて、そこで窓が開いていて風吹いて木がサワサワと音がすればフィンランドと錯覚するのかどうかどうしたら錯覚するのかなとか自分がもしサウナつくるのであれば休憩できるところは窓で空とか星が見えるような設計にしたいなと思った。

 

 

留年が決まって2か月が過ぎて

早いもので2か月が過ぎました柴田犬。

 

この2か月何をやっていたかというと、

本審査に出す予定だった「誰かの旅路」を制作する予定が自分が何を表現したいのか見失ってしまい全然手を動かせなくなってしまい、自分がしたくなるまで制作は中断。大垣公園の使用許可まで取ったのにね。。

 

その代わり、療養しながら映画、本、作品鑑賞、旅というインプットを大事にして、就活と旅について考えた日々でした。毎日旅詞として自分が旅だと感じた物とか瞬間を400字から600字の間で毎日綴って送りたい人に送りつけるというもの。旅のことを毎日考え続けて言葉にできることで僕は旅人であり続けるというコンセプトで35回書き続けていて、そのうち3日旅人として死んでしまいましたが。100まで続けるのは辞めないです。もし、毎日送って欲しい人がいれば連絡ください。そんなもの好きいないと思いますが(笑)

 

docs.google.com

 

就活を初めて意識して、自分の将来のイメージは前からずっと変わっていないなと思った。自分の人生のミッションは「自分を含めた1人ひとりが生き生きと自己表現できる社会・空間を生み出すこと」だからこそ、僕は今自己表現を見つけるためにもがいてるわけだけれど、それが見つかったら僕は本当に誰よりも強い存在になれると思う。生き生きとできるには必要な要素は、自己表現ができそれを認めてくれる環境(自由に表現できる、好きなことに追求できる時間と費用の確保)、人間的な生物的な生活ができる場所(地方で自然に囲まれた生活、無添加でおいしい食べ物やものに囲まれ循環できる仕組み)、消費社会に吞まれずに自ら生み出せること(農、林、畜、建物、家具、生み出せるスキル)そんなことが実現できる場所で自分は家族と一緒に暮らしていたい。そんな考え方が同じ人が集まって村になって独自の教育や福祉が生まれるような将来をイメージしている。そうすれば、その村のユニークさを見にいろんな人が集まる場所にもなるだろうなとワクワクする。

 

だからこそ、仕事は暮らしのデザインや空間の企画や事業ができるような場所に行くか、もう敢えてぺいちゃんみたいに地方としての生き方として地域おこし協力隊として林業を学び新たな産業を生むとか、地方でRebuilding Centerのように新たな文化を生む場で働くのもいい、はたまたアートフロントでアートマネジメント学んでキュレーションの道にいくのもとかいろいろ考える。結構地方で持続可能な生き方をしたいという気持ちがある一方で、若いうちに都会で働いてみないと都会に暮らせないなとも思う。今一番の選択肢は東京でLIFULLで働いて30歳で半年から1年世界一周して、地域おこし協力隊として地方で暮らし方・生き方を考えるのがいいと思っている。

 

将来のイメージはすごくつくのになぜか今やりたいと考えている「旅」を軸とした体験型の作品は全然あまり見えてこない。先日の長野旅中にぼやぼや考えていたのは、究極自分がここだと思った場所じゃないとできないのではないかということ、それか本田さんが借りている場所の一部を使わせてもらって自由に何か建造物を建てて自然に近いる場所でできごとクエストをつくることだろう。なぜか大垣という地でつくると微妙になってしまう。場所としていいなと感じていないからだろう。そしたら、せっかくアルバイト決まったのにもったいないけれど、それは一番大事なことではないからね。だからこそ、秋田とか諏訪とか大阪とか尼崎とかになるんだろうなと思っている。

 

誰かの旅路は結局ぎりぎりにのんちゃんと話して決めた事だから自分のパッションが足りないという事だし、ゲームブックに映像と音声を加えた新しい体験として行けるものだとは思う。演劇クエストを体験してそれを超えられないと諦めてしまった。今はまだ挑戦するには十分な時間がある。でもまだこれといった覚悟が決めきれない旅と体験と暮らしの関係性がしっかりと言えない自分がいる。自分が将来的にしたい生き方のデザインの中にはハレとケのように暮らしと旅が共存していると思うのだ。だからこそ、今旅を、卒業してから暮らしや空間を考えるのは大事なことだと思う。そこまでは理解できていて、暮らしの中における体験というのはどういうことなのだろうか。日々生きていく上で数々の体験をしているけれど、それが当たり前になっているからこそ、他の場所に行って違う体験をして自分の体験のかけがえのなさを振りかえり、普段しない体験に新鮮さを感じる。体験の積み重ねが暮らしになるし、旅になるのではないだろうか。そう考えた時に新しい体験をつくる意味というのは何なのだろう。そもそも体験というのは「自発的にやってみて五感で集中して何かを感じて心躍る感覚という事」だと思う。暮らしに携わるには11か月では非常に短い。だからこそ、暮らしの中でもハレの時間である旅を日常の中で感じるような体験に自分は着目しているのでもあると思う。

 

5感を使うことを意識したできごとクエストであり、他の人の視点をも感じれるようにすれば寄せ集め感がすごいけどね。それと次の仕事がどう生きるのかが全く見えないのは正直なところではあるよね。様々な人の暮らしを追体験できるのもまたいいのだろうか?家の中の暮らしを同じ家のつくりを再現して体験してもらうとか。映像とか音声のものがリアルな場所と同じように見ながらできることはおもしろいことだと思う。360度動画で撮れればよりおもしろいものになると思う。普通にFusion買ってやってみようかなと思う大きな買い物になってしまうけれど。

 

そんな感じで今思ってる現状を久々に綴ってみました。

 

<今日の一枚>

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The Sauna最高でした

 

 

 

 

 

 

 

 

留年が決まった2日後

もう一年が決まって二日が経った柴田犬。

 

自分の脳裏によぎっていた"留年"という二文字が誰よりも早く現実となった。正直、不合格という言葉をいただいて自身が予想以上に受け止めていたし、心臓がキュッとなる苦しさからある意味一時的だけど解放された感覚だった。理由は、発表ごとに作品の形態を変えて制作時間が圧倒的に不足していたということだった。結局不合格にするのであれば、自分から四者面談の時に休学を考えているということを告げてもよかったのかもしれない。今の作品は時間のなさと思考の回らなさ、追求のできなさと集中力のなさ、余裕のなさから良いものが生まれてくるとは到底思えなかった。なおかつ、それでもし卒業できたとして胸張ってこの大学院を卒業したと言えない。僕は大学院を卒業したという称号をもらうためにここに来たわけではない。表現を学んで、クリエイティブな世界で生きていく力とより自分が進み続けられる試行と思考の翼を手に入れるためである。ささえてハウスを越えるためにテーマを変えたのに結局5ヶ月では超えられなかった。それはすごく悔しく、苦しいことだった。9月から現在にかけて改めてささえてハウスに向き合って良い作品だと感じて今取り組んでいるオーディオツアーの作品からささえてハウスに戻そうとまで考えてしまった時期もあった。戦友に支えられ叱咤激励を受けながら表現とは何か?研究とは何か?美しさとは何か?殻を破るとは何か?を垣間見れた。だからこそ、今日から卒業まででそれを体に染み込ませたい。それが自然とできて、他の人の作品や研究を見て戦友のように考えられ意見できるようになる必要があると大いに感じている。他の人の作品と比較する必要は全くなく自分の戦いだ。誰よりも本読んで、誰よりも作品と触れて、誰よりもアウトプットして、誰よりも地域に溶け込んで、誰よりも楽しむ1年にしたい。本当の大学院生活が始まるのはこれからなのかもしれない。共に、自分の甘えから、妥協する性格や時間にルーズな点を脱却するんだ。僕は改めて、何がしたいのか?何を面白いと感じているのか?これまでの問題点はなんだったのか?それをまず明らからにしてから改めて僕自身の背景や問題意識を考える。表現者になるにはここからが勝負なのだ。

 

<今日の一枚>

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不合格のメール

 

 

<今日のサウナ>

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永楽湯 in 名古屋

とてもよかった点はサウナ室の中にテレビがなかったこと。音楽なしで全然良いけれどラジオというのもまた新鮮だった。2、3人ぐらいしか入れないサウナ室に刺青がバリバリ入ってる方と共に汗を流した。温度は80度ぐらいでドライサウナというよりは意外と湿度が高くて好き。そして、水風呂多分17度よりも低いのではないかと思われる水温に火照った体を冷やす。ゆっくり横になれるスペースがないのが銭湯だからしょうがないけれど悲しい部分ではあった。でも、お家の近くにあったらコロナ以上に通ってしまう場所になると思う。銭湯や温泉はやはり将来持ちたいものである。

皮一枚

予備審査が終わった柴田犬。

 

マクドナルドのWifiで下書きが全て消えてしまった。結構ありのまま書いたのでショック。アカマツさんに魂が一切感じられないと言われて、当たり前のことなんだけれど凄く重たかった。ノロさんにそれはライオンが崖から突き落として這い上がってこいっていうことだよと言ってくれたが、僕と主査の関係性は皮一枚だ。一年半ここにいて、ようやく表現と研究が少しづつ見えてきた。「ぬるい仲間内の褒め合い、舐め合い、慰め合い、で、どうして芸術家になれるのだろう」大変お世話になっている友人が言っていた。友人や同期にこそ物事をはっきり言えないのに先生に向けて社会に向けてしっかり言えるのだろうか。今回の予備審査では本当にアイディアも制作もスライドもサポートしてもらってなんで僕の研究なのにこの人はこんなにも簡単にこなしてしまうのか。僕は正直悔しいという以前に無能さに打ちひしがれた。アイディアは実際にやってみて楽しいのと可能性を感じたからしっかりとやっていきたい思いはあるし、さっきも言ったけれど表現と研究は本当に少しづつ少しづつだけれど見えてきているからもしもう1年だとしても逆に喜ぶと思う。僕は正直ゆっくり自分のペースで作りたい。もっと本も読みたいし。もっとどこかに出かけたい。さっき書いたことを思い出しながら書いてるのでつじつまが合わなくなっているけれど、この小さい宇宙に来てから大きく僕は良くも悪くも変わっている。この1年半本当に色々あったからだろうけれど。あの子から言われた甘さが今の僕が乗り越えないといけない大きな大きな課題。その甘さが妥協を生み出しているし、有言実行を防いでるし、人に対しての態度にも出ているし、全ての自分の言動に結びついている。僕はこんなにもクズだったのかと。僕はただの井戸の中の蛙に過ぎないのだと。ここからの追い込みが僕の人生を大きく左右するし、乗り越えられなかったら一生後悔する。自分の命を削ってまでもこの地獄から抜け出す。なんど絶望を味わっても僕は態度と思考を変えられていないのだけれど。自由という表層は美しい響の中に潜む狂気。地獄のような苦しさの中から生まれる自分にしかできない表現はきっと美しい。

 

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予備審査2展示

 

一命を取り止めた

一命を取り止めた柴田犬。

 

今日のお昼までささえてハウスに変えようと思っていたと改めて考えていたら恐ろしいことだと気づいた。金山先生に言われて結局ささえてハウスに戻したと言ったらそれ程に恐ろしく恥ずかしいものがない。のんちゃんにも言われているけれど自分には意地というものがないのだろう。それが元カノにも言われている甘さにも繋がっている。甘さを乗り越えないと自分はまた同じ過ちを犯すだろう。それはこの大学院にいる間に抜け出すべき課題であり、それを超えられなければ今後作家として生きていくことは成功することはできないのだろう。表現者としての基本というか魂を学びとっている。というか影で学ばせてもらって、数ヶ月がすぎて段々と物事が見えるようになってきた本当に少しづつだけれど。でも自分の作品は全然ダメダメ。まだ体裁を整えているにすぎない。今日狂気性というものが表現の要素として出てきた。京大の学生運動の格好をして現代の人からはどう映るのか実際に行動を起こして事件を引き起こすのだ。率直に言ってずるいなと他の人の反応をあらわにするような作品僕は好きだし、僕自身そういう出来事を引き起こしてみたいと思いながらできない一人である(ささえてハウスもそうだし)し、そういう行為が怖いものだって知ってるからこそだ。また、映像についての考え方も好きだった。映像というものの本質を理解しないで映像を使わないで欲しいということ。光の実像か虚像か分からないがそういうものが物体に当たり生まれるものであることとかをしっかり踏まえて欲しいということだった。それなら僕にとっての「音」って何なんだろうか?音声を聞くという行為は?サウンドスケープとは?バイノーラル録音とは?そういうものを理解せずに使うことはインスタと一緒だなと。本当に面白くなってきたな。そでなければこの気持ちを時間を使ってまで将来の僕に対して残さない。あの時僕が死ぬ気で苦しんで自分が何を悩んで何に苦しんでいるのか分からなくなるぐらいにまで追い込まれてしまったあの日々を。決してこの生活は楽しいものではないからこそこの生活深夜マックに行ってナゲットとポテトを食べて語った日々を。

 

<今日の一枚>

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演劇クエストが面白すぎて絶望したあの夜の東京

 

<今日の一曲>

目の前の誰かのためではなくても、誰かの元にこんなにも響いている。

youtu.be

ボコボコにされて文章はぐちゃぐちゃになった。

ボコボコにされまくった柴田犬。

 

赤松さんの質問に全く答えられなかった。研究として作品としての意義が言えない。伝えられない。作品としての手法は実際に実験してないから妥当だと言えない。ということで今のままだと予備審査自体も通すことはできないということだった。

 

面談の時は以前と何が変わったのかという点をしっかり明示できるようにする必要があったなということを再確認できた。面談中に言われたことを次に示す。

 

作品の名前を「できごとクエスト」としたらゲームを連想するがそれはいいのか?クエストという意味はしっかり理解して使っているのか?

 

街を歩いて楽しむことができる旅のあり方はこれは旅ではないのか?普通の旅も街を歩くことじゃない。観光地に対することを考えているのでないか?街を歩いて楽しむことができる旅は史上初めてこの作品で実現される訳ではないよね?この作品が何を目指しているのか?

 

研究の意義だと述べていた日常の些細な出来事における選択に自覚的になることと日常の新たな一面を見出すことは前の作品ではどういう部分にそれを表していたのか?それを今回の作品ではどういうところに加えていくのか?

 

僕の研究の意義が体験を通して日常の些細な出来事における選択に自覚的になることであれば実際にどうなるのか説明できないと作品としての説明ができない。僕の作品を体験した人はもし、朝目を覚ましたらどう変化しているのか?とか人の行動を実際に変えることはできるのか?日常における選択って何なのか?変えることを体験した作品はあるのか?そもそも人の感覚を変えたいのか?

 

これから起きることとこれまで起きたことは間違いなく1つしかないことで、ゲームのようにリセットして人生をもう一度味わいたいとか別なシチュエーションで、自分の人生の選択が間違いなく良かったということを理解したいということ。自分の行動を肯定しているということ自己肯定感を強化するようなことなのだろうか?その自己肯定感を作品としてどう実現するのか?

 

つまりこの作品を体験した人がどう変化するのか?という点を終始聞かれた。でも答えられなかった。ダメダメだと言われた。つまり自分がやりたいと思っていることをいつも書いてることだけれど今できる小さなステップでやっていく必要がある。実際に体験してもらってどういう体験ができて体験後にはどう変化するのかを伝えられない限り僕はだめだ。

 

 

また、話していて感じたのは、自分が非常に大事にしているのはヒッチハイクであの場所あのタイミングでそこにいたという瞬間の感覚に自分は良さを感じていること。それはささえてハウスをやった時にも感じたことである。いやいやながらも、みんなやってるから無理無理やってるかもしれないし、髪が絡まるとか、重いとか感じながらも自分で続けてみんなでやるということを続けていたよね。あそこで辞めなかったから、最後までみんなでできた達成感を感じて一緒に遊んでた子と今遊べてるんだ。それを通して知らない人とリアルで出会って話すって楽しいねって思ってもらえればいいなとささえてハウスでは思っている。

 

僕の狂気性というのは、人に普段しないような行為をさせることだと思うんだよ。これまでの作品でもそうだしというかささえてハウスが特にそうだと感じているから。ずっと他の人がどういう反応をとるのかという部分にすごく興味が湧く。

 

みんなが面白いと思ったことを思うような体験をつくりたいのがしくんだもんな。僕はアートとエンタメの真ん中にいきたいといつも言ってるけれどそれってどういうことなのだろうか?僕が面白いと思った感覚を一般化してみんな楽しみながら何か気づきを与えられるようなものであり続けたい。心にちょっといつも残っていて楽しかったけど変な体験だったなとかこれまでにない体験を生み出したいね。ゲーム的な感覚でいろんな人が楽しみながら参加することができる要素を持っているというのはとても重要なことだとは思っているけれど、ただのゲームと一緒にはされたくはないのはある。何も自分の答えになってはいないけれど。

 

客観的に面談中の録音を聞いても何を話していて何を伝えたいのか分からなかった。こんなによく分からない話をあんなに頑張って聞いてくれて意見してくれた赤松さんには感謝している。

 

今日は昨日の面談から実験するしかないことは分かっていて、それをまとめようとこれを書いているが今様々なことが頭を巡っているのか文章もいつも酷いが、いつも以上に酷いものになっているけども後から振り返ってみるとこの時は改めて酷かったなと認識できていいのかもしれない。

 

<今後やること>

ちょっとゲームブックの音声版を考えてみる

ささえてハウスのいいところを考えて加えていく

ソフトピア周辺の情報収集とどう加えるのか検討

最終的な達成感をどう演出するのか

実験を重ねながらプロポーザル編集

論文の目次と構成制作する

 

<今日の一枚>

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高峯さんの作品見てきた。ずるいね。

 

新たな自分を見つけた日

すごく瀬戸際にいる柴田犬。

 

昨日こんな重要な時期なのにささえてハウスの実験で愛知の方に行ってきた。

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ハイエースに乗っているささえてハウス

久々のドライブで好きな音楽をかけながら熱唱しながら向かう。その中で自分の表現を模索して生まれたささえてハウスはやはり名作だし、今やってることでそれを超えられていないなと実感をした。それと共に、初めて作家としてデビューしているような感覚がしてすごく昨年1年間模索して苦しんでよかったなと思えた。正直このままズルズル研究のことを手を動かさず、考えもしなかったらあと一年だなと思い、もしそうなったらどうしてるんだろうと考えていた自分がいたし、それに対してあまり違和感なかった。こんなことを書いてると本当にそうなるかもしれないがそうなったとしても自分は絶望というよりはやっと作家として自分のこだわりとかやりたい方向性が芽生えてきたからこそ今後も制作し続けたいなと場所がどこであろうと思えているのではないかと思っている。決してダメだったから人生終わりではないなという絶望感というか背水の陣でやったほうがいいのかもしれないけれど作家としてつくることに変わりはないなと感じたドライブだった。でも親には申し訳ないからそうなった場合は自分でお金を稼ぐ。

 

だからといってもう研究を諦めたわけではサラサラない。でもモチベーションが湧かないのは事実である。本当は昨日朝まで今後の研究のこととシナリオ考えて明日の面談までに録音しようと思っていたけれど今でもまだ間に合うとは思うが結局自分は弱い人間だし、そんな自分がなぜか嫌いではない。本当にあと16日しかない。やり切らないと後悔してしまうから。

 

ささえてハウスを実験して感じたのは、人が自分の作品で何かやらされてる光景を見るのがたまらなく面白いなということだ。僕はUCさんが中間発表展示の時に言っていたリレーショナルアートの人はやらせて何かハプニングが起きることをしめしめと思っているどこか意地悪な人だと思ってるんですという言葉が僕にも当てはまってしまうなと感じた。これなんで被るの〜とかこの実験は失敗だよ〜とか痛いよ〜とかずっと喋ってる子供は側から見ると実際楽しんでいるんだろうなと思って見ていた。本当に嫌だったら逃げ出すし、喋らないだろうと思っているからだ。体験中に楽しくなさそうな顔してる子も終わった後にどうだった?と聞いた時に無邪気な笑顔で楽しかったと言っていたことがすごく印象的だった。知らない親子同士子供同士が体験前と体験後で仲良くなってる感覚がある。一人できていた男の子が一緒に体験した女の子たちと遊んでいた。改良点としては、①接続部分の強化(中に入っていかないような構造にしないといけないね)②ミッションカードの穴あけと内容の検討(雨用も)③高さ調節スムーズにこの3点。自分がやりたいこととしては①ペンキがスレてパイプ部分が見えてしまうのでスプレーをかけようかなということ。②旗のロゴを印刷したいなということかな。あとは体験中に外側から念の為支える人と中に入ってファシリテーションをする人が必要。安全性はクリアできていたので最低限現状でも実施できることが分かってよかった。時間を見つけて修正していく。

 

もう1つ昨日初めての自分を発見したのが、Agasukeの後輩に対して1年半表現やものづくりに携わってる身として表層のかっこよさしか見ておらず「ものづくり」や「デザイン」という言葉を安易に使っていることに許せなかった。デザインに興味があってポスターをつくると言っていろんな本を読んで他の人にも本を勧めていたのにも関わらず彼から生み出されるアウトプットに彼のこだわりや美、クリエイティブ要素が一ミリも感じない。考え抜いてあれだったらしょうがないけれど、ビジュアル的な美しさが分からないのはしょうがないと思うけど、どう考えても適当な写真(僕が撮った写真を選んでるのはセンスあると思うけど笑)を選んで適当に配置してるのが許せない。デザインという言葉に失礼だし、適当にやるならやらないで欲しいなと思ってしまう。お互いの時間の無駄だし。こんなに憤ってる自分に出会うのが初めてだった。これはのんちゃんの影響なんだろうなと。自分の美の押し付けではなくて、美が分からないなら分からないなりにいろんな作品を見るべきだし、初心者が何もお手本にせずにつくるのが自分には分からない。守破離があるだろうよ。「ものづくり」や「デザイン」を舐めないで欲しい。本当に苦しい世界だということは身にしみて分かってるからこそ、こっちはいつも本気で目の前の作品を見て何か思ったことを優しく伝えようと努力をしているのに適当なものを出されると本当に理解できないし、不愉快。後輩たちからは成果物が1年いたのに見えてこない、記事はだんだん上手くなってきてはいるけどね。でも、そう言ったもののそれは自分自身に言えることなのだろうなと思っている。表現をやってる人にとっては失礼なことをしているんだろうなとは思っている。だから、簡単に自分のことをアーティストだと言えないしアートをやってるとは言えない。自分がこの大学院で胸張っていい作品だと言えるものがない限りは。この16日が僕の人生最大の勝負だ。

 

<今日の一枚>

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実験中のささえてハウス