柴田犬の頭の中

アートど素人がアートを学べる大学院に入学し、変わった人生を歩む日々の思考のメモです。

様々な作品に触れた日々を振り返って

今週は様々な作品に触れて全然プロトタイプ進んでない柴田犬。

 

秋田での「かみこあにプロジェクト」、東京で「あそびのじかん展」「塩田千春展」

昨日の「あいちトリエンナーレ」「天気の子」とここ数日で非常に多くの作品に触れた。

 

昨日のあいちトリエンナーレから振り返る。友達から譲り受けた劇団うりんこの演劇。思い返してみると自分でお金払って演劇というものを見るのは初めてかもしれない。劇場に入場するとすぐ目立つのが、真ん中に四角いステージがありそれを囲むように客席が配置されていた。ステージの上にはクワクボさんの作品が美術演出としておかれライトのついた水晶玉が旅をするように舞台を周りながら様々なものの影を客席の壁に投影していく。パフォーマンスというと舞台と観客が二つに分断されてるのを想像していたから、今回のように観客が演者を囲むようなスタイルは興味深かった。劇中も観客に話しかける仕草が何回も見受けられたし、観客側も他の観客の反応が見れる。来てから分かったのだが、うりんこさんは結構子供向けの演劇を上映しているらしく予想以上に子供連れが多かった。だからこそ、演劇が始まる前に演者の人が入念に観客とコミュニケーションを取って場の雰囲気を和ませていたのも印象的だった。内容は貧乏神をなすりつけ合う話しで面白かったけど難解な部分があった。というのも訛りが結構きつく早口だったため言葉自体を理解し辛いところがあったし、劇中でタイトルにもある「幸福は誰にくる?」というフレーズを言うたびにみんなで笑うシーンが何回もあったそれがなぜなのか?幸福は君が知らないだけで来てるじゃないかという笑いなのか、幸福なんて誰にも来ないんだということ嘲笑いなのか、幸福が来ていない自分たちや他の人を笑ってるのか色々想像が膨らむ。興味深かったのは最近音声に興味を持ち始めたからなのか、劇中の効果音が非常によかった。囲まれた客席の隅に出てない役者は待機していたのだがそこから鳥や動物の声、周りのヤジを投げかける。その時の迫力や臨場感が非常によかった。作り物感がないような。特に女性のホッホーホッホーという声が素敵すぎて鳥肌たちまくった。だからこそ、最後に雷とかも自力でやってくれたらもっと好きだった。最後の方でお金を観客から求めるようなアクションがあった。劇の最初にコイン型のチョコを配っていて自分は食べてしまったのだが、それがあれば観客側も演劇の中により入り込めたのだろうか?最後のシナリオが少し変わっていたのだろうか?それが自分は気になるから正直もう一度行ってみたい。

 

劇終わりの会田さんがやっていたくるくるトーク参加やめようと思っていたが参加した。普通のアフタートークでは演者や演出家が一方的に話すことが多いそうだが、今回は観客どうしが話すという会田さんらしいワークショップだった。実際にいろんな人と話しながら様々なことに気づいた。貧乏神をなすりつけあって回っていく様子と演者が舞台を走り回って演じてる様子と淡々とクワクボさんの装置は周りながら影を投影していく様子がマッチしていたという視点が非常に面白かったし、軍人さんが貧乏神をなすりつけられてもずっと自分といようとか、全然貧乏神と一緒でも不幸だとは感じないと言っていたのに結局最後に王様になすりつけてしまう。それは王政から市民政に移る暗示なのではとか、ロシア文学だが、実際の舞台はフランスとイギリスなのではとか、王様や木こりや軍人にはヒエラルキーがあったのか?とか大人でも難しい演劇を見た子供達はどう思うのか?恐くはなかったのだろうか?いろんな人と話すことで作品の見方や考え方が変わってくるし、純粋におもしろい。こうやって誰かと話したくなってしまう、どういうことだったのかと気になってしまう演出ができてる時点で自分は価値があるしそれがアート作品だと思う。あとは余談だけれどクワクボさんの作品のファンだから参加したという人が話した中の半分がそうだったそれぐらい人の心を動かしてることに嫉妬してしまった。自分も頑張ろう。

 

その後に、フリーパスを買って色々見た。その中でも田中功起さんの「抽象・家族」、永田康祐さんの「Translation Zone」、津田道子さんの「内と外」、葛宇路さんの「葛宇路」、毒山凡太郎さん「君乃代」、dividualさんの「10分遺言」は非常に好きだった。

 

田中功起さんの「抽象・家族」は日本でハーフと呼ばれる年代のバラバラな4人が一つの家族となり数日を過ごしながら自分の過去・現在・未来を様々な行為を通して共有し合う映像作品かつインスタレーションだった。僕自身が韓国とのハーフだからこそ全く同じ経験をしてはいないけれど日本人だけれど日本人ではない感がするというか、僕は見た目が親が韓国なんだよねって言うまで完全な日本人だと思っている。そもそも完全な日本人って何なんだろうとか、日本人以外の人を外国人として(日本人顔でないハーフの人も含む)区別するのだろうかとか、背景や文化が異なる人が集まって生活をすることで与えられた行為(みんなで絵を描いたり、テーマに沿って話をしたり、みんなで料理をしたり、穴を掘ったりなど)をすることでなぜか現代社会において大事だと思うような問いが少しづつ話題に上り始める感覚が気になって全部ずっと見てしまった要因だろう。途中でふと「普通って何なのだろうね?普通の反対は目立つようなことだと思って息を潜めていた」ようなことふと話す。それをちゃんと捉えているカメラずるいね。すごいキレイな映像だし音声だなと思っていたら4、5人のスタッフが映像と音声を撮っていた。あんなに人に囲まれながらも素を出せるのはなぜなのか?田中さんがそのような誘導というかいい空気感を醸成しているおかげなのか?映像を見ている限りではドキュメンタリー映画を見ているような感覚だった。時折描写としてみんなで描いた絵が映り込むそれを見てやはり美術史や美術を理解した人なんだなと改めて感じた。自分は描写の切り替えとしてやみんなで描いた様々な色から様々な背景や文化、過去が絡み合ってルコとの象徴なのではないかと感じていたがどういう意図があるのかは聞きたいところだ。自分はあまり暴力的には見えなかった。見えないようにしてるからだろうか。『「家族」という集団はある程度強固なつながりを持ち、でも偶然に構成され、なおかつ拡張可能であるものを指す。』『劇場の中には家族史と個人史が反響し、スタジオでは抽象絵画が制作される。演じられた言葉と自分の言葉、疑似家族とそれぞれのリアルな家族史、そして四人の協働によって描かれた異なる形式が同居する抽象絵画と、四人が織りなす会話や行為の集積としての生活。一軒家に集まった、いわば偶然の「家族」の暮らしは、フィクションと現実の間で、いつの間にか私たち自身に「自分とは何者なのか」という原始的な問いを提示することになるだろう。』ということが壁に貼られていた。映像の中でお互いに自分とは何者なのかを考えていく改めて探っていくようなプロセスを見て自分のこととして考えてしまう。考えらさせるように設計されてるのかもしれないそんなことを考えながら、最近自分は気になってる人のことを考えていた。その子は所謂外国人でイスラムだ。まだ好きかどうか明確ではない機会があればデートとか行ってみたいとは思っている。この前会ってその子の言動からも同じようなことを考えてるんだろうと思っている。でも、その子のことを考えると同時にその子の抱える背景であるイスラムという文化を自分はどこまで受け入れられるのだろうかということ、同じコミュニティに所属してるものとしてそういう気持ちで見ていいのかということ、もし結婚して子供が生まれたら今映像見てるような見た目でいじめを受けたりするのかもしれないとか、自分もその宗教に入らなければならないのかとか、その子自身を見るよりもその周りのことを意識してしまってる自分に嫌気がさした。そんなことを考えてる時点で実は好きではないのではないかとか将来のことを考えすぎるのは自分らしくないとか、本気だからこそ考えてしまうのかとか久々の感覚すぎて分からない。今は彼女が欲しいわけではないし、もしそうなったとしても上手くならないと思うから来年まで待ってもらうことになるし、来年会いに行った時に二人で一日過ごしてみて考えたい。その時にその子にパートナーができたらそこまでだったと思うしかない。

 

最後に津田道子さんの「内と外」メインの作品として展示してなかったが、ヘッドフォンを装着してオーディオガイドという形で展示場所である古民家の中でも土足で歩く通路のような場所で家の中と外の境界が曖昧な場所で昔の生活音を流しながら内と外の境界について語っていた。作者の語りとして聞くのもありだなということ様々な環境音がその場から本当にしてたんだろうなと想像しやすいこと。普段の真っ白なホワイトキューブとは違う野外でやることの意味として様々なものが見えるということ。それぞれの場所が持つ力が立ち上がってしまうことそれらを考慮した作品に自分は面白さを感じるしこれから時間ない中なぜかモチベも湧かない中やっていきたいと思わせてくれた作品。

 

dividualさんの「10分遺言」は複数のディスプレイに10分間に誰かが誰かに向けた最後の遺言を対応していく作品。寺山修司のノックという本にも「世の中がこんなにもドラマチックなのに、わざわざ劇場まで出かけて行って、金を払って作りもののドラマを見る必要がないさ」という一文があった。今の一瞬一瞬にどこの誰かにドラマが起きている。それをすごく象徴とさせてくれる作品だと感じた。誰かが誰かのために死に際に放つ一言フィクションだとしてもそれが持つ言葉の力。ある意味手紙とか直筆ではなくてもタイプするスピードで躊躇してるとか考えてるとか言葉を選んでるとか見えてくる。毎日ただの情報として見ている画面上の文字にもきちんと情が宿るということを知っていたとしてもそれを改めて理解させてくれた。自分も後で大切な人に対して書いてみたいと思う。

 

あそびのじかん展のTOLTAさんはポジティブな言葉の書かれた積み木を使って参加者が並べて奇妙な文章つくって遊ぶ作品。「呪い」を人を動かすおまじないと捉えて様々なものに潜む前向きな言葉が知らず知らずのうちに人を動かしている。この文章を書きながら体験としてはおもしろいながらもある意味恐さを感じたというかたくさんの言葉に知らず知らずのうちに動かされ操作されているんだと単純に行為をしては楽しかったけど意味を知れば知るほどちょっと恐いと感じた。

 

塩田千春さんの個展では狂気以前に彼女の生い立ちを知れば知るほどあの糸が体を使って空間に絵を描いてるんだろうなと感じた。絵から体全身を使って絵になること、2次元から3次元のパフォーマンスに行きそれがだんだんと糸として空間に広がっていく感じがしてのんちゃんにも言われたアートは過程が大事なんだってその人がどういう過程を経て今の作品に至ってるかが分からないことにはやはり本当にその作品を理解できたとは言えないんだろうな。アーティストの変遷を辿るのは好きだな。

 

様々な作品に触れて自分は正直弱気な自分もいるし、最高なものがつくれるという自信もある。このまま行けば確実に留年コースでしかないのに、動けない自分もいるもどかしさ。100個のプロトタイプという課題があまりに鬼すぎて苦しい。ここが本当に正念場だからこそ今日含めて24日しかないからこそ今できることをする。大垣・岐阜周辺の昔話や伝説のリサーチとそれを語れる人を見つけたい。天気の子とかで感じた鳥の羽ばたきや風がものすごい勢いで吹く音とかをいろんな場所で聞いてみて場面転換のような感覚が生まれるのか実験する。あといろんな大垣の生活音を収集して聞いてみるとかやってみる。

 

<今日の一枚>

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あいちトリエンナーレ

 

 

 

秋田の旅路は今後のに繋がる旅路

秋田の十日間が予想以上に刺激的で今後の大きな糧となった柴田犬。

 

メンターの先生方がいなくなって5日目から各自のリサーチが始まった日々のハイライトを下に示す。

5日目は朝風呂下の湯で市議の宮野さんと後々お世話になる杉江さんと話す。4日間のインプットを整理するためにゲストハウスで籠りながら、リファレンスとして紹介してもらった『アクトオブキリング』(2h45mですごく長かった)を見て、ゲストハウス周辺の大湯を探検した。お昼にテイさんと花ちゃんでランチ。そして、美味しい水も汲みに行く。

6日目はどっとはらえの北村さんや佐藤さんから気になっている昔話のことをインタビュー。図書館で昔話関連の本を借りて、寿美子さんの田んぼと畑に行って帰り側に寿美子さんの犬に噛まれ失神を経験する。

7日目は午前中が病院で潰れる。破傷風ワクチン注射まで打たれる。10日まで毎日感染症予防の点滴に通う必要があることになる。お昼にりゅうさんと小熊さんとみきちゃんでランチ。その後周辺を散歩しながらおばけ石を見に行きある程度のルートを作成。他の参加者に音声で非日常的な行為のインストラクションを録音してもらって、自分で実施。次何くるんだろうというワクワク感があった。

8日目は十和田湖を見に行く。ストーリーを作成し自分の声で収録してテスト。岩井さんのレクチャー面白かった。

9日目はシナリオが全然ダメだと石山さんに言われ夜通し書き直す。全然いいものができなくて焦る。なんとかシナリオができて完成度20%。相馬さんのあいちトリエンナーレの話自分の意見が幼稚すぎて悲しくなった。

10日目は宮野さんの声がいいなと思って久々の下の湯で待っていたけど来ずに杉江さんに宮野さんの家の場所を聞いて実際に行ってみるも居なくて、諏訪さんの旦那さんに相談したところ杉江さんを紹介してもらって予想以上にいい声で音声収録できた。その後発表。

 

結構キーとなったのは6日目北村さんの話を聞いて、岩井さんもすごく気に入ってる言葉。『むか〜し、むかし。あったけど...』という導入でフィクションの世界に導いて、『どっとはらえ』で現実の世界に引き戻す。そういう行為や言葉は他にもあるのかと聞いたときに、お祭りの最後に手締めをするそうでそれでハレとケの境目をつくっている。そして、昔話の一つ一つが小さなお祭りのような感じなんだということ。これまでの先祖が語り繋いできたことで昔話の中には彼らの想いや願いが籠っているし、その時その時の時代によって編集されてその時のベストな内容で語られてきた。語りをするときにすごく疲れていて嫌だなと思っていたとしても語りの最中は何かに憑依されているかのように圧倒いう間に話してしまうという。日常の中においてこのように現実と非現実が曖昧になっていく状況にはすごく興味がそそられた。その後にプロトタイプの軸となる物語を探すために図書館でいろんな昔話の本を借りて読んでみた。しかし、全く面白くない。自分が語りべの体験がツアーでの体験で一番印象的だったと感じたのは嘘だったのかと思うような感覚だった。語りのついてあるCDを聞いて『語り』の持つ力に驚いた。

 

また、今回の秋田のプロジェクトでは『日常を旅化する・させる』というテーマでプロトタイプを考え実施したいと思っていた。前から持っていたアイディアとして街中に自分の非日常を生み出す行為を記したインストラクションを散りばめて偶然それに出会った人たちにその行為をやってもらって自身の日常が旅化していき、他の街中のインストラクションを探したくなる仕掛けをつくっていきたいと考えていた。

 

だからこそ、この街中におけるインストラクションと様々な土地に点在する昔話や伝説を織り交ぜたストーリーを融合させたいと考えた。ストーリーの中に昔話や伝説の中に入り込むような形を取りながら自然と非日常行為を誘導させて普段歩いているはずの風景を違うものに変える。増してや、作品を終えても日常において日常的空間にいるように見えないものが見えるような聞こえないような音が聞こえてくるような、普段しないような行為が自然とできるようなそんな感覚をつくりたい。そう思って、今回の『石との旅路』は制作した。

 

今回の旅中で強烈だった光る怪鳥伝説と大湯の街に残るおばけ石の二つに共通する鉱石である石と自身のテーマである旅を結びつけたストーリーを制作して、温泉で出会った杉江さんに音声を吹き込んでもらって実現した。色々満足できていないところがあるがこの方向性には可能性があると感じている。でも、方向性として二つ大きな壁があると感じている。一つは制作した作品を自分で体験しても自分で結末がわかっているから何が面白いかわかりにくくなるということ。2つ目はOn the Tripという会社が文化施設という場所でだが実際の物や魚、妖怪が語るという手法での音声ガイドを行なっているという点だ。

 

自分が行いたいのは何か文化や逸話が必ずしも残っているような場所ではない日常的な場所にその地域の昔話や逸話を絡めた物語を新しく制作し、それを聴きながら日常と変わらない街の風景をガラッと変えたり、普段しない行為を通して自分や街の違う一面を見たりすることができれば自分の処女作としては成功なのではないだろうか。

 

自分は赤松さんからも言われているが、自身が実体感を伴い体感として面白いと思わないと満足できないし、赤松さんには納得してもらえない。今回の旅中に犬に噛まれて失神という経験を初めてした。気を失うという言葉は聞いていても、目の前が真っ白になるということを聞いていてもそれは空想でしかなく実体感を持って語れない。改めて実体験を持つということの大事さと自分は意外と身体性のある作家なんだなと。自分という物理的な体や精神が没入する遠のいていくという精神性の移動を含めて自分は旅であると感じたし、そのことを参加者が実感を持って感じれる作品をつくり続けたいと思った。ささえてハウスも他の人がいなくては体験できないし、容易にテストができないという面で大いに難しさがあったと今ながらに思う。自分は岩井さんと話して岩井さん自身も最初はサウンドアーティストとしてデビューしたと言っていたが、今では使うメディアは様々だし、その時に表現したいものでメディアを変えると言っていた。この大学院ではメディアを最初に固定するような感覚がある。でも僕は、日常を旅化する装置としてその時その時に合うメディアを選んで使えるようになっていきたいと思う。それは自分自身が飽き性だしこれっていうものは決められないからかもしれない。何かを決めてひたすら突き進むというのは本当にすごいと思うが、自分はこれまでの人生で突き通したことはいつも何か表現活動についているということ、人のことをよく見て考えていることだと思う。

 

改めて今回の秋田のプログラムに参加してよかったと思う。我々の可能性にかけて大分優しい好評だったのかもしれないけれど。今回のプロトタイプでの反省は下に記しておく。

 

参加する人数を想定できていなかった

イアフォンを全員分準備できなかったこととスマホがない人用の対策を考えきれなかった(2人でイアフォンを使って聞くことで何か聞こえた聞こえないでコミュニケーションが生まれると発見があったけど)

もっと物語の中で自然に行為の誘導をしたかった(右に行ってと言わなくても右に行ってしまうような仕掛けをつくりたかった)

もっと参加者同士でのインタラクションがあってもよかった

もっと20分から30分で体験できるものにしたい

参加者自身が自由なルートで自分が旅してるような感じで体験できるともっといい

あえて迷ってしまうような全てが全てを案内していくのではなく参加者自身が自然とというかこっちが指定しなくても何かの行為をやれる余白を残しておくべき

イアフォンをつけて街を歩く時点で日常ではなくなってしまってるのではないかという問いへの返しが難関

どういう人を対象にしてどういう土地でやるのか

究極はコンビニに行く道をどう変化させられうるかということだね

 

参考作品

リミニ・プロトコル Situation Room

On the Trip 妖怪美術館

高山明 ヘテロトピア

高山明 ツアーパフォーマンス

寺山修司 ノック

 

<今日の一枚>

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実施風景

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幼稚園と小学校時代の振り返り

自分の過去と家族との関係性を振り返った柴田犬。

 

秋田のプログラムの前にシヨンさんと会った時に家族との関係性が今の自分を無意識的に力強く形成しているということを何回も言っていることが印象的だった。今の自分は過去の積み重ねだからこそ、無意識にこれまでやってきたことを一つ一つ丁寧に整理する時間というものは非常に重要なことだ。その時に紹介されたのが「内なる外国人」という本だ。

 

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自分について洞察を得るには当然自分について分かるための『言葉』が必要。他方で心や思いはその奥で、あるいはその底であらゆることを思いつく。被害的になったり、想像的になったりで、とんでもないくらいに荒唐無稽なことをを思いつく。

 

「自我にとっての外国、内なる外国に他ならない」のであり、自我によって分裂が生まれている。「内なる外国人」はうまく喋れないのでその拙い言葉はそのままではよく分からないので「内なる外国語」を私がこの国の言葉で理解する際に通訳や翻訳が必要。

 

私たちの無意識は外国語のような状態にあるなら、特にその読解にはインタープリター(翻訳)が必要であるので、心の内外や意識と無意識の間にある分割する「壁」を、この日本語対外国語の「壁」に投影しやすい。

 

現代の垂れ流される言葉の洪水の中で、饒舌に喋る人たちが言葉を失うということは本当に珍しいでしょう。しかし、言葉を失う経験は「内なる外国人」が路頭に迷う貴重な機会なのだ。そこで、言葉で自らを知り、自らの思いを分かるためには、セラピストも患者も、内なる「外国」との接点で「内なる外国人」の<わたし>が「言葉の壁」にぶつかり、言葉を混乱させて、「通訳」を求める機会を増やすしかないでしょう。

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前書きに以上のようなことが書いてあり、実際に作者が患者と話した内容が会話形式で書いてある。その中で印象的だったのが自分の家族を他の誰かに投影していること。言いづらい『性』のことを取り上げていることだった。誰かに言いづらいことの中に本質があったり、自分が知らず知らずのうちに影響を受けているものを探って引き出している。そのことから自分における家族との関係性や自分の過去を振り返って行きたいと思う。

 

幼稚園

覚えている記憶としては、美人で大好きな保育士さんの隣でお昼寝していたこと(これは絶対今の強烈な女好きのはしりだな。それとお母さんが歳だということから若い女性への興味があったのだろうか?)、教室のコート掛けの中で友達と紙を食べたこと(いけないことをしてるという感覚のせいか鮮明に覚えている。でもなぜその場所で紙を食べようということになったのかは覚えていない)、ガキ大将な感じでいけー!って他の子供たちをかき立てていた(他のガキ大将感がある思い出は何一つ覚えていないから夢かもしれないが小学校に入る前の顔合わせ会だったはず)。家のタンスに入るのが好きだし(写真にもあるし母親がいつも好きだったねと言っている自分の隠れ家とか秘密基地やずっと母親がそばにいたから自分1人だけの空間を探してつくりたかったのではないか)、旅館で浴衣を巻く帯でミイラ遊びをしていた。授業中糊を食べている人を鮮明に覚えているし、韓国の祖母からいやいや頭がよくなるからといって朝鮮人参エキスを飲まされたこと、だいちゃんといつも遊んでいたこと、長命寺は運動会でチェキすごいなと感じたぐらいかな。夜2人とも親がいない時には怖くて祖母の部屋に駆け込んだ時もあるなと懐かしむ。子供会で走ってきた友達の兄貴に衝突して腕を骨折したこと。北海道に行ったのかな?親戚と一緒に泊まった旅館で何が原因か分からないがなぜか怒っていて内側から鍵をかけて誰とも会わないようにしていた。全然覚えていないが、しくんをいじめていたらしい。そんなことしていたのかな?いじめる方は覚えていないというのは本当らしい。

 

幼稚園は結構好きだったと思う。親とは歳が本当に離れていて孫のような世代の違いから親と遊ぶ内容があまりなかった気がする。絵本とかを読み聞かせてくれた記憶は一切ないし、親の方から遊びを提案されることはほとんどなかったような気がする。だからこそ、結構家では寂しいというか退屈な思いをしていた。テレビを見るか、自分で遊びを開発するか、親が知っている遊びを外から知って一緒に遊ぶとか。幼稚園の頃から誰かの家で遊ぶ機会が多かった気がする。外には意外と連れて行ってもらってたのかな。こうやって思い返してみると予想以上に自分の過去は忘れてしまっている。でも、何かを思い出すことで連鎖的に思い出していくのは不思議だ。親や友達に自分の過去を質問して洗いざらい答えてもらう作品を作るのも面白そうだな。

 

小学校

1年生の記憶は、まだ土曜日も学校に通っていた時期で教育実習生の女性が来ていて帰り際に泣いていたのを思い出す。1年生の記憶がほとんどない1~2年生の記憶がぐちゃぐちゃになっている気がする。女の子2人に自分が鼻くそをほじっていたのを見られていじられていたり、そういえば初めてのモテ期のような感覚だった気がする。そういえばしのへはいつまで学校にいたんだっけ?あの子に泣かされたような気がする。4年生あたりで引っ越した気がして3年生あたりで初めてバレンタインのチョコをもらった気がする。あと、たくろうを笑わせるというか彼がいつも何かすると笑ってくれるからそれで調子に乗っていたような気がする。母にも彼から面白いって言ってもらったって嬉しくて伝えた記憶は鮮明だ。1年生からか幼稚園の頃から始めていたかもしれないが水泳はやっていたよな。絵もいつからかは覚えていないが記憶がある時には始めていたもんな。3年生ぐらいになると記憶がある。その時から生き物はすごく好きでずっと生き物係をしていたなと。家の畑とか学校の朝顔や花の水やりが好きで何かが成長していくのをみるのはすごく好きだった。家庭訪問でも武田先生から本当に植物の名前を覚えていて好きなんだなと伝わってくるというような一言を話していたのが忘れられない。3年生か4年生か覚えていないが死にそうな金魚を救うために本を読みまくって職員室で塩をもらってバケツに溶かして金魚を介抱したけど死んでしまって教室の片隅で泣いたことを覚えている。生き物好きだからこそザリガニで絵を描いてそれで初めて賞をもらってそこから絵画の賞ラッシュが始まる。3年生ぐらいから発明クラブにも入った気がする。東京に行ったのはいつだったっけ?書道はもう少しあとだったような。武田先生のイラスト入りの板書が結構好きだったな。3年生ごろからしくんやひろくんと仲良くなった気がする。4年生は、拾ったものを自分で使うような子だった。拾って使えないようものだったら再度床に捨てていたりしていたから阿部先生に注意されたのは覚えている。そして、絶対って命をかけていう言葉だからこそそんなにやすやすというもんではないということはなぜか覚えている。多分書道を初めて書道でも賞をもらうようになる。剣道もスポ少で始めた。こう自分で書いていると家にいる時間ってあまりなかったような常に外に出ていたんだなと。習い事もいやいややっていたことは一つもなかった。全部自分からやりたいと言ってやったり、提案してもらったことを自分の意見で受けてきている。でも小6から始めた英会話は最初嫌だったというかお金が大丈夫なのか心配だったのかもしれない。ずっと好きだった人を追いかけて色々同じ習い事もしてたし笑 ずっと親に髪を切ってもらっていて髪型がキノコのようになっていたからマッシュヘアーとしていじられていたの結構いやで帽子をしょっちゅう被っていた気がする。カバの口がカパカパする服人気あったなとか。服のセンスは皆無だったね。日曜日も朝早くに習字やってからいやいやながら教会に連れて行かれてた気がする。教会は本当に嫌だった仲良くなれる子供もなぜかいなかったしあの神にすがってるような感じが子供ながらも違和感でしかなかった。でもその影響からか寝る前に神にお願い事を唱えてから寝ていたな。しのへが引っ越すということになっても意外と寂しくなかったような気が今はする。結構一緒に帰っていたけど友達としての好きだったからだろう。しくんは鮮明に覚えてるらしいけど半分成人式のことはさっぱり覚えていない。この頃だろうかお弁当に持ってきてくれるキムチが臭いということに気づき入れないでほしいと伝えたのは。小さい頃からなぜか歯磨きは好きだったからこそ、しくんを経由して女の子から自分は臭いということを知ったのはそれは中学校の時だった気がする。5年生はどうだろう。担任が堀江先生になって自分がいわゆる優等生だったからか周りにエコヒーキされてると言われ始めた。この時に農協のポスターコンクールで東根市長賞を取るようになった。お母さんがゴーヤを取ってるところだ。その時に着た服がダサいということに自覚になり始めて恥ずかしがりながら登壇したような気がする。その時ぐらいまでだろうか母親に服を選んでもらっていたような気がする。その年ぐらいになってから自分の局部を床にある程度擦り付けると変な感覚になることをなぜか知っていた。その時には何も出てこなかったが。5年生の時だった気がする相撲の行事をやった。生徒会も5年生から始めたような気がする。結構積極的に学校の役職をやるような感じだったね。6年生から中学生になってからしばらくの間母親が精神を病んだ時期だと思う。それが影響して自分は結構変わったというか自分の苦手なところとか直すべきところを直そうと努力した時期だった。自分が何かダメなところを直せば神様は母親の状態を改善してくれるだろうという願いのあまり、鉛筆の持ち方箸の持ち方はもちろんいろんな自分にできることをした覚えがある。生徒会で運動会の挨拶も緊張して声が裏返りながらもやっていたし人前で話すことがなぜか極端に苦手だった自分はそれを克服するためかわからないけど話す機会を設けていたな。でも、国語の授業で自分で書いた文章を暗記してみんなの前でいう授業でなぜか二回とも泣いてしまった。それは今では笑い話だけど当時は本当に苦しかった。きゅうりを美味しく食べるポスターがまた賞をとる。テレビで天才と言われている絵を描く小学生を見つけて自分がまだまだだということを知る。長距離は速かったから陸上競技大会に出るために朝練頑張ってたな。今思えばなんでこんなに頑張ってたんだろうね。親にいい子だと思われたいから?そんな理由ではないはずでも小さい頃から向上心は持ってたのはなんでだろうか。今回はこんなところにしておく。また時間を見つけて更新していきたい。

Agasuke Houseは生き物だ。

Agasuke Houseは自分の人生における大きくて生き続けている作品だと改めて感じた柴田犬。

 

8月12日、13日秋田から帰ってきてすぐの時間に2回目の夏合宿を行った。本当は制作進んでいないから行かない予定していたけれど自分自身がAgasukeで壁のワークをしたいという欲求や自分が何か後輩に残せる機会というものが本当に減っている中で合宿というのは非常に価値のある二日間だからこそ出来るだけ参加したかったし、純粋に自分が毎回の合宿を楽しみにしてるんだ。

 

最後のコメントでも言った言葉が自分でも印象に残っている。よんなな学校の時もそうだけれど合宿となると、密に参加してくれる人と一緒に行動し同じ釜の飯を食べて同じものを体験するけど一人一人異なる感じ方をする。最初はそんなに関わりのないような人同士も同じ空間で強制的という表現は適切ではないがお互い向き合わざるを得ない。そういう時間を過ごしていると一人一人のちょっとした変化や成長が浮き上がって見えるようになる。その成長やお互いが自分自身と相手と向き合い次なる目標やこれからより頑張るという姿勢やいい空気感が空間全体に充満する。真面目なことだけでなくてバカバカしいことをしてそこからも素の人間の行動や発言が見えてくる。普段見せない顔を見れること、それを引き出せる空間をつくれたということに非常に嬉しさを感じる。でも、終わりが近づくと無性に悲しくなる。まだその変化を見ていたいし、自分は直接彼らの変化を見続けられない。二日間の感動がじわじわと湧き上がってくる。だからこそ毎回目頭が熱くなる。裏を返せばそうなることができたら自分が最大限その場に貢献できたという証明なのだと思う。

 

今回は自分は秋田でのじゅんじゅんさんのダンスワークショップのペアになって目をつぶって1人がガイドするものと。ガイドしないで危ないと思ったら優しく止めてあげるものをやった。最初のアイスブレイクとしてカメちゃんがやってくれた東北弁ラジオ体操ではお互いのインタラクションがないからお互いの緊張をブレイクする空間の緊張をブレイクするという力が足りないから自分のワークやしくんのペンの色とは違う色を書いてそのペンの色をいうという右脳と左脳の切り替えとかもペアに分かれて競争するというゲーム性があって場が盛り上がってよかった。そういう湧く感覚をカメちゃんには感じて欲しいなと思った。

 

各チームへのFBで自分が結構率直に厳し目に切り込んでしくんが色々フォローしながら次に必要なことを提案するというコンビネーションが自然とうまく言った気がする。ゆきのちゃんに対してはもっと上手い言い方があったと思うけど、ゆきのちゃん自身のリーダー像を考えて実行して欲しいなって。いろんなリーダー像があるからこそね。もう少し言い方を適切な質問とどう誘導していくかを考えながら発言するべきだと学んだね。

 

4人の先輩からの共有の時間。これまでどういうことをやってきてどういうことを意識してどう自身は変化したかを伝えた。ゆきのちゃんの映像を撮るの忘れてたのが後悔。自分は全然準備してなかったけど、Agasukeができた経緯や実際にどういうことをやってきて意識してきたか。自分の強みをどう活かしてきたか。Agasukeでどう自身は変化したかを話せた。ゆーみちゃんとゆうきちゃんから以下のようなFBをいただく。

 

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ゆーみちゃんとゆうきちゃんからのFB

 

自分というものがこんな風に見えてるんだなってそう感じれる。今の大学院よりもやはりここが自分の素をありのままに出せるなってそう思う。秋田でも割と出せたし。

 

聞くのもいいけど見て学んで欲しいなって。しょうじちゃんを見て特にそう感じるというかでも自分も人のことは言えないかもしれないけど、結構彼はHowToを質問の時に聞いてしまうような気がしていてそれを一緒に短いながらも生活しながら読み取ることができるのが合宿の良さだと思うからそれを最初に伝える必要ってあるんだろうなと学びだった。人から教えてもらうよりも自分で掴み取った情報や知識は比べものにならないものだと思っているだからこそ聞くだけでなく行動から読み取って欲しい。現代ではHow to本が溢れてしまっている中で自分でいろんな分野の本を読みながら生活しながらいろんな点が繋がっていく感覚を身に染みて感じて欲しいなと思った。

 

壁も結果的にはすごくいいコンテンツになった。自分は本当に間に合わなすぎたけれど。一人一人予想以上に自分の普段見せない姿や過去を見せてくれた。自分が思った以上にさらけ出して自分と向き合ってくれたんだなと感じた。無意識的に自分が書き表したものには絶対理由があるし、今の自分はこれまでの過去の蓄積であり、生まれた時から一緒にいる親や家族から受けた影響で成り立っていることが多いだからこそ定期的に逃げずに自分というものを振り返るというのは非常に価値のあることだなと感じた。自分の過去と家族との関係性はまた改めてここに書き記したいと思う。でもやはり大学院では1週間でやった理由がわかった。圧倒的に二日間だとお互いに問う時間が少ないからだ。本当はもっとお互いにそれはなんでそう思ったの?とかなんでこの色でこの大きさで書いてるの?とか本当に些細な疑問で目の前の人を深掘ることでその人が気づけてなかった自分を見つけられるはずだからだ。

 

合宿で自分でしたことと気づいたことを上記で思ったままに書き記したけどやはり自分は『人の変化を見ること』が好きなんだなってだからこそ自分の作品も人がわっと驚いて楽しんで何かが変化するそんな作品をつくってその変化を見たいんだろうなと。毎年毎年成長して僕らの意識が本当に少しづつだけど後輩に伝搬してるということがはっきりと分かる。だからこそこれからも見届けていきたいし卒業というよりは顧問ということで少しでもサポートできれば一番いいなと思っている。このAgasukeから自分含めて山形を日本を世界を代表とする人が生まれいくと確信している。この実験室はただ3年だけでは結果は分からないしそれだけでは答えは出ないからこそこのAgasuke Houseに5年、10年という単位で関わり続けていくことで日本でも世界でも唯一なコミュニティとして教育機関として実験場として価値のあるものに育っていくと思う。

 

<今日の一枚>

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Summer Camp 2019

自分の人生において大きな10日間になりそう

秋田を旅して5日目となった柴田犬。

 

この修士で大変な時期に赤松さんや他の先生方にも余裕があるねと言われながらも僕はこの秋美のプログラムに参加してよかったなと感じている。特に来てよかったなと感じたのはうちの大学院に入っ手間もない時に感じたワクワク感だった。今回様々な分野のアーティストやアーティストの卵(自分を含めた)人たちが集いキャラバン形式で秋田の鹿角と小坂エリアを旅した。その中で現地のアーティストや活動している人たちの話を聞いたり、様々な温泉や鉱山、歴史的な場所に赴きながら様々な視点で人を物を文化を地域を探っていっていき、一人一人異なる意見を言いながらもどこか根底ではアーティストとしてアートに関わる人としての思考やプロセスの類似点が見えてそれがまた有機的に繋がっていくような感覚がしたのが僕は来てよかったなと思った点だった。じゅんさんの複数人でテーマに合うように配置や動きをして全員で一つのものをつくるというワークをした時に芹沢さんが芸術祭のディレクションもテーマを決めて様々なアーティストをどう配置してどう見せるか、時には引き算をしたり、集約させたり、ありえないようなところでさせてみたりと繋がったような感覚が僕は好きだ。

 

西川さんの作品で一見関係ない写真を映像化することで見えてくる動きとか面白さという点でじゅんさんのコンテンポラリーダンスも意味のない動きを重ねることである意味意味が生まれてくるというか面白さが生まれてくるそれは松井さんと話した時にも出てきた話題だし表現における根本的なものがやはり散らばっていた気がする。

 

また、『旅』という自分の研究制作に必須のテーマへのヒントが色々と感じられた4日間だった。自身の旅の要素としては『非日常的な行為をしたり・非日常的な空間に行くこと』『自身の偶然な小さな行為によって今の出会いに導かれている』『大まかな目標を決めることでその過程が自由になることでストーリーが生まれる』ような認識をしていた。

 

この4日間で感じた旅の要素としては、『物理的や思考の中を移動しながら自分というものが偶然出会った人やもの、文化や情報などに出会いそれぞれのもの同士を自分を通して繋げていく行為』『枠から飛び出る→非日常』『もう一つの日常であり誰かの日常である』そんな感覚。

 

今回のベストメンターであるPhilipさんが言ってたことが印象的で

『脳みそと共に行動して、手で感じて、足で考えて』ということそれは旅人である人だからこそ言えることだなと思っていて自身も6月に行動して足を動かして考えたからこそ今があるし正に自分に対しての言葉だなと感じた。芸術や旅には1)2つの水槽を行き来する。2)二つの水槽の水を混ぜる。3)全く違う水に飛び込む。4)水がなくても生きていけるようになるということだった。

 

様々なアーティストのレクチャーからの学びやフィードバックが非常によかった。

印象的だったのは岩間さんの『おいしいって何なのか?』という問いに対しておいしいということ自体が社会的に作られているものであるということ。知らぬ間に添加物が入っておいしいと錯覚を起こしているということ。毎回食べるものがどういうものか自分で調べてみたり、本当においしいって何なのかを考えてみること。

 

芹沢さんのバクテリアのランダムバイアス走法でリスクとか関係なしにまずやってみる動いてみてダメならまた方向変えて動いてみるそれの繰り返しでなぜかバクテリアが食べ物の多い場所に1時間もすれば集まってくるように動き続ける必要性を説いていたことと一見遠いというもの同士を組み合わせる時にストーリーをつくる必要があったからこそストーリーをつけることができたということややはりいつだって1人ではなくてお互いに様々なことを言える環境というものが大事だということだよね。 

 

このプロジェクトにくる前から『日常を旅化する』というテーマで自身の日常を変化させてきて、それを今回の期間で自分以外の人の日常を旅化させたいと考えていた。この4日間の旅として印象的だったのは昔話や伝説の語り部だった。やはりフィクションとノンフィクションの境界が曖昧になる感じやフィクションに飲み込まれる感じが僕は好きなんだなと。こんなにも地域に物語が残っているということ。本当は自分が歩いてきた何気ない道にも見てきた場所にも使っているものにも本当は物語があるのではないかとそう思った。だからこそあの架空の橋をつくるプロジェクトの時に感じていたフィクションとノンフィクションの中から生まれるロマン性を具体的な行為の書かれたインストラクションを街中に点在して日常を過ごす人を旅化させたいと考えていた自分にとって融合できるのではないかと思ったんだ。

 

それを伝えた時に結論を急ぎすぎだと言ってくれたのは本当によかった。インストラクションと物語性をどう上手く融合させられるのかという点。手法を絞りすぎずにもう少し考えてみては?具体的に誰のための作品なのかという点。旅化って非日常だけではないのではという点。可能性をもっとオープンにして他の可能性を考えながらだんだんリサーチしながら狭くしていくということが大事だということ。有機的な繋がりを作品の中につくりだすということ。(自分自身が旅化をしてどう変化したのかということ。)

 

リファレンスとしてもらった

アクトオブキリング

寺山修二の『ノック』

Rimini Protokoll 『Situation Rooms』

 

街中に日常と非日常をつくりだす時の演劇って力強さを感じる。

音でのインストラクションという方法も知れたのは大きかった。まず誰がどのように体験するとか置いといて自分がそれを体験して面白いかどうかを実験してみるべきだなと思う。それをどう実際にやってみるか。かねちゃんに声でインストラクションしてもらって街中を歩いてみる実験をしてみる。自分で指示を入れても面白くないので。

 

フィクション的な要素では明日北村さんに会いにいくわけだけども、具体的に何を聞くのかが決まっていない。なんで物語はどのように立ち上がって来たのかとか、自分たちで現代的に将来的に昔話になるようなものを残していかないのか、地元の人は日常の中に昔話とか逸話のようなものは溶け込んでいるのか聞いてみたい。もう少し何を聞くかは考えたいけども。なぜこのエリアが遠野に並んでる逸話の街なのか。どういう文化が影響している?宗教的なものとか?人間性?気候風土?どっとはれという言葉でフィクションからリアルに覚めるためにいうと言うことが面白かった一言言うだけでおまじないのような緊張した時に人と3回書くようなおまじないのような感覚。朝お風呂に浸かりながら考える。

 

その後にすみこさんの畑に行って、その後に誰かにインストラクションを吹き込んでもらってやってみる。1人で。その後複数で。インストラクションではない手法を岩井さんと相談してみてもいいかなと。明日も楽しみながら頑張る。それにしてもかねちゃんは受講生の中でしっかり考えのもったアーティストだ。色々じっくり話していきたい相手が見つかったのは嬉しいこと。

 

 

<今日の一枚>

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My Best Mentor

 

 

 

 

日常を旅化する一歩

大学院のオープンキャンパスのようなものが無事終了した柴田犬。

 

結論から言うと充実した時間だった。赤松さんに遅刻して怒られてしまったけれど。

本当は展示しない予定だったが実際に『日常を旅化する記録』という自分の日常の中での普段しない行為を実践した記録映像を流して予想以上に反響があった。半分ぐらいの方が熱心に見てくださりいろんなフィードバックをいただけた。

 

実際に展示したのは以下の動画を

 

youtu.be

 

こんな風にプロジェクト室に50インチの大型ディスプレイで映像を流してました。

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展示風景①

 

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展示風景②

移動体のスペースには椅子がたくさんあったのでいろんな人の休憩スポットになってたのはよかったね。

 

結構予備審査前の事前展示のような感覚でいろんな先生からFB得られたのは大きかった。特に松井さんと2時間も話せたのは大きい。結構自分のことを意外と気にかけてくれているんだなと嬉しく思った。田中功起さんの初期のよく分からない行為をしている映像作品やVito Aconti、バーバラ・クルーガー、フェリックス・ゴンザレス・トレス、ジェームズ・リー・バイセーズを紹介してくれた。

 

『意味がない行為だからこそ様々な意味を加える事ができる』

『意味のない行為をしている人は結構いるがそれを続ける事に意味がある』

と言っていたのがすごく印象的。

 

しきりに言っていたのが、

『どういう枠組みでどういう表現か』

『これをするということはどういうことか何をテーマにして何をやらざるを得ないのか』

 

やってることとしては面白いけどそれをどういう風に意味づけをして研究にしていくのかは大事なことだね。

 

また、ギブソンさんには自分の活動自体をすごく好きだと言ってもらえた。

この大学院ではお互いに認めてもらえにくい活動かもしれないがお互い頑張っていこうと。自分の映像をみて社会のルールが知らず知らずのうちに当たり前になってきてそのルールや文化を疑うことやそもそもなんでそうなったのかということを忘れてしまっている。それをこういう活動であぶり出せて気づけるきっかけになるのではないか。あまり逸脱していない活動だからいいのかもしれないと。お金も一見ただの紙だし、日本自体もただの海に囲まれた岩だけどそこには目に見えないストーリーや文化があってそう思わせられているんだ。ギブソンさん副査に割といいなと思っている。すごく一番言っていたのは君が将来何をするのかが一番気になると。中間展示の時から言ってくれている。自分自身もそれは一番気になるところだし今後AIが発達して医者も仕事がなくなっていく世の中で君の活動は絶対にAIにはできないことだと。だからこそ何をしていきたいのか。早朝ライドで赤松さんに海外を放浪するならアーティストインレジデンスを使って色々周ったほうがいいと。自分としてはそれで色々生活費や親にお金を送れるのであればそんな生活も十分にありだと思っている。アーティストとして成功するかわからないけれどアーティストとして腹をくくっていく覚悟ができるのか正直まだわからないけれど他の人とは違う道を自分は選んできたわけだからリスクをとっていってもいいなと今は思っている。そういう生活を許容してくれるパートナーと一緒に生活できたら最高だけどな笑

 

話を戻すと、他にもいろんな人からFBをもらいそれをまとめてみると

・実際に行為をやってみてどう変化があったか?

・服を統一して展示会場も同じ服を着たほうがいい(赤松さん)

・リズムよく見入ってしまう

・もうちょっと無茶した行為をして欲しいとか胴上げして落ちて欲しいとかオチのようなものを期待してしまう

・道端で寝るときに周りを気にしているのがぎこちなさや作者の人間性が見える

・どう行為をチョイスしたのか気になる行為の派生も含めて見えるようにしたらどうか

・映像を複数のディスプレイでその行為をじっくり見せても面白いのでは

・日本人は変わったことをやらなそうなので実際にやってもらう工夫は大事

・最終的なアウトプットがきになる

・旅は計画も含めて楽しいものだからこそ行為をする前から見えるようにとか偶発性を表現の中に加えられたらいい

・旅先でするような行為を日常でやってみても面白いのでは?池に硬貨を投げるとか

 

これらを踏まえてあと100個まで5個ほどなのでそれをおわしてプロトタイプを100個目指して頑張ってつくっていきたい。これから秋田に行って色々学んでくるぞ!

 

 

人生の中の地獄

天気も悪いし今後どうすればいいか分からなくなって心が苦しい柴田犬

 

日常を旅化させるというテーマを決めたにも関わらず前に進めてない。

自分のアイディアに自信がないしまず日常を旅化させることが自分が楽しいと思えてることでもないような気がしている。またそうやって前にいつも進めない自分が嫌だしこの前後輩に自分たちと同じ授業とってるのは留年決まったからなんですかという事を言われて結構ダメージが響いている。誰にも何と言われようといいとあなたしかつくれないあなただからこそつくれたという傑作を僕はつくって卒業したいんだ。アートプロデューサーになって多くの人をアートやエンタメの力で心を豊かに笑顔に楽しめるような事をしたいんだ。本当に今は崖っぷちどころか崖から片手一本でぶら下がってる感じだ。本当にこのままだと留年何だろうなと頭がよぎってしまったり、あと半年で卒業すると信じている親にも申し訳ない。早くこの地獄から抜け出したいのに抜け出す突破口がまだ正直見えていない。中間終わってからあまり動けていないなと振り返ってみて思う。4月5月のような感覚だな。みんなしっかり行き先が決まって自分はまだ見えていない。旅というキーワードから旅をどうやって表現に結びつけるかというものがはっきり見えていない。8月に秋田であるプログラムではしっかり作品として何かを残せないと自分は厳しいと思う。ずるずる伸びていく自分はあの子に振られてから何も変わってないし何も変えられてない自分の甘さを変えられてないんだ。自分の甘さを克服する方法が今は分からないのが正直なところだ。それを変えてくれるのが筋トレなのかなと今は思っている。土曜にトレーニングルームで筋トレしてムキムキの優しいおじさんに教えてもらって筋肉痛がひどいからそれが治って多分明日かな?また行こうと思う。筋トレしてる時は嫌なこと忘れられるし自分の体がなんか変化してる気がしてすごく嬉しくなる。女や人は裏切るけど筋肉は裏切らない。自分でやっただけ成果が目に見えるのが筋トレで、自分でやった分だけよく分からなくなるのがアートだなと思う。まだその両者は始めたばかりだけれどやっていきたいと自分自身を変えるんだと、あの子よりもいい女を見つけるんだ。でも正直秋田が自分のすごい転機になりそうな予感がしていてでもそれに任せていたら絶対にダメなんだ。もがいているんだけれど自分は本当に前に進んでるのか?本当に自分はもがいてるのかということだよな。暇さえあればアニメで精神を保ってるけどもやりたくないとモチベが上がらないけど進み続ける推進力が今はない。シヨンさんにずっと楽しい事をやってと言われて正直今楽しいかと言われたら楽しくはない。みんながつくってる作品がよく分からないように自分の考えや作品もどきは他の人には理解されない。何回も自分の原点に戻って自分がこれまでにした事を改めて考え直して違う視点からみてみて自分の体験や経験に基づく面白さを追求していく。ささえてハウス以上のずば抜けた面白さを自分は見つけ出せない。それが悔しいしいろんな人にダメだなとか呆れられてるのをギャフンと言わせたいのに。タイムリミットが着々と近づいていて悔しい。他の人に話そうにも何を相談したらいいのか分からない状態になっている。シヨンさんと話したいけど話せないし、早川さんに今よく分からない状態になってる事を相談しようと思う。野呂さんとも話したい。筋トレの師であるtestosteronさんも言ってたもの8時間睡眠、一日3食、週3回の運動、人と話す事だって。ここまで追い込まれてるのは本当に久しぶりというか去年も思い返してみたらこんな感覚だったなって思うな。とりあえず文章かいてスッキリしたし動こうと思えたから動きます。

 

<今日の一枚>

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富士登山